2011年震災直後、私は何もすることができませんでした。無力。募金するくらいしかできない。
2012年夏、何か役に立ちたいと、役立てるかもわからないボランティアに参加し、陸前高田に行きました。結果的に何も役には立てなかったけれど、現地を見た経験は私にとって大きな出来事でした。
震災から1年ちょっと経った後の様子。元々の姿は見たことが無いからわからないけれど、津波のすさまじさが感じ取れます。
その後、定期的に3~4回訪問しました。年々壊れた建物は無くなっていくのですが、昔の面影がまったくない無機質な台地が出来上がっていきました。きっと今頃は町が再びできているのでしょう。今はどうなっているのだろう。
陸前高田と言えば、砂浜に松が広がる白砂青松のイメージが強かったですが、その面影が無い海岸に唖然としました。
時は経ち、2015年には仙台空港前の海岸にも行きました。
防波堤がガッチリ作られています。ただ、この防波堤で津波が防げるとは思えませんが。
砂浜に生える植物である海浜植物は、海から陸側の環境ごとに住み分けて様々な種類が生育してきました。防波堤に分断されてどうなってしまうのだろうと不安だったのですが、ちゃんと防波堤の前後で生き延びていました。再生したといった方がいいのでしょうか。
また、松林再生も進められていました。
見に行った海岸の目の前が仙台空港の滑走路であったため、飛行機の航路がよくわかりました。海岸線に沿って飛んできてクイっと曲がり、滑走路に向け飛んでいきます。
また砂浜行きたいなぁ。
会社のデスクの下に避難して震えたこと。その後の津波の映像に仕事どころではなくなったこと。TVはぽぽぽぽ~んの毎日だったこと。計画停電中、ろうそくで髪がもえたこと。すべてがもう10年前。
あの時のことを忘れず生きていきたい。改めてそう思いました。